DV事案における慰謝料はどのようなものですか?
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DV事案における慰謝料はどのようなものですか?

DV事案と離婚慰謝料

「離婚そのものによる慰謝料」、すなわち相手方の有責行為のゆえに離婚のやむなきに至ったこと自体を理由とする慰謝料は不法行為によって構成されるものであり、時効は離婚成立時から3年です。

 

人格無視の言動をとった場合の有責配偶者への慰謝料裁判…300万円でした。
 
浦和地方裁判所 昭和58年(タ)第4号、昭和58年(タ)第55号 離婚等請求、同反訴事件 昭和59年9月19日
「7 だが、原、被告間の共同生活はまたしても円満ではなかつた。例えば、原告は被告に対し、「おまえが悪いため別居したのに、結局は帰つて来て、この出戻りめが。」とののしつた。また、三人の子供のめんどうをみなければならないため、引越荷物の整理が仲々できないでいるのに、原告は「座る場所ぐらい作れよ。」と殴りつけたりした。更には、ある夜の一二時ころ、被告が台所で換気扇を回しながら食器を洗つていると、原告は「てめえ、子供が泣いているのがわからないのか。」と頭をいきなり殴つたこともあつた。その後も原告の被告に対する粗暴で、思いやりのない態度は変わらなかつた。昭和五六年六月被告が子供たちを連れてエホバの証人の夜間集会に出席した際、偶々原告より帰宅が遅かつたところ、原告は被告が子供たちを連れてエホバの証人の集会へ出席することは教育上良くないと考え反対していたこともあり、「ただいまと帰つて来た夫を迎えないで何が妻だ。」と激怒し、被告を足で蹴飛ばしながら玄関のたたきまで落とした。そして、同年七月には原告は、被告の作つた料理は食べられないと言つて、生活費も満足に被告に対し渡さなくなり、被告は子供を通じて「パパ牛乳を買うお金をちようだい。」といわせて生活費の一部をもらう始末で、普通の夫婦間の会話もなくなつてしまつたのである。更には、子供が耳鼻科ヘ通院するのに「パパお金下さい」と頼むと、被告に対し、「てめえがエホバの証人なんかやつているから子供らが病気になるんだ。仲間の人からもらえばいいじやないか。」と暴言を吐いて治療費を渡さなかつた。その後、昭和五六年八月六日から九日まで西武園でエホバの証人の地域大会が開催されることになつていた。被告は原告の了解を受けて出席しようと考えたものの、五日の夜一二時になつても原告が帰宅せず、またその当時は夫婦間の会話もなかつたことから、「どんなことがあつても聖書の勉強はやめることができない。原告も調べてほしいと思つている。」との手紙を書いて先に就寝したところ、原告は帰宅後これを読んで激怒し、被告を起こして階段を引きづり降ろし、「聖書に書いてあることを五分以内で言え。」と言つて、被告の言葉を録音テープにとるなどした。その翌日六日被告が大会から戻ると、原告は自宅を施錠し、四泊五日の予定で登山に出かけたため、被告と子供たちは自宅に入れず、止むをえず大工に依頼してサッシの窓をはずし家の中へ入つた。ところが、同月一〇日ころ、登山から帰つた原告に対し、被告が「お帰りなさい。」というと原告は、「どろぼう猫め、どうやつて入つたんだ。」と言つて被告の頭を殴打して家の外へ追い出し、「この辺をうろつくんじやない。どこか見えないところへ消えうせろ。」と怒鳴つた。そこで、被告は近所の知人宅に泊まつたが、翌八月一一日自宅の戸があいていたので入ると、原告が二階から下りて来て「何で入つて来たんだ。あやまれ。」といい、被告が「別に悪いことはしていない。」と反論すると激怒して手拳で殴打し、髪を引つぱり、被告の着ていたTシャツをまくり、べルトで被告の背部を殴りつけるなどしたので、たまりかねた近所の人が駆け付けて止めさせるほどであつた。そして、原告は被告の聖書関係の本類を全部屋外へ投げ出して被告を家の中に入れなかつたため、被告は自宅の庭で毛布などを借りて蚊取線香をたいて寝た。かような日が数日続いたが、その間、長男と二男は家の中で原告と寝たり、庭で被告と寝たりしていた。八月一六日の夜は、子供たちも外で過したのであるが、蚊取線香がなく蚊にさされたため、被告は原告に対し、子供だけでも家の中に入れてくれるよう依頼したが、原告は「母親の言うことを聞く子なんか駄目だ」と言つて家の中ヘ入れようとはしなかつた。そして、八月一七日、被告は原告に対し話し合いを申し入れたが、相手にされなかつたので、被告は、原告が手離さない三男を残し、長男、二男を連れて婦人相談所に身を寄せた。一方原告は、三男の監護養育を近所の人たちに頼んでいたが、やがて断られ、同年九月五日三男を乳児院へ入れた。
四 慰謝料請求について
 本件婚姻関係は、主として原告の被告に対する人格無視の言動によつて破綻したものであることは、前記一で認定したとおりであるから、原告の慰謝料請求は失当であるが、原告は被告に対し、被告の被つた精神的苦痛を慰謝すべき義務がある。そして、右認定の離婚に至る経緯、その原因、原、被告双方の資産、収入の程度、婚姻期間等諸般の事情を総合勘案すれは、慰謝料額は少なくとも金三〇〇万円を下らないと認められる。」

 

・有責配偶者への慰謝料請求を含めて財産分与の審判をされる場合があります。もっとも、訴訟において確定判決前の時点で、ということになります。

大阪家庭裁判所 昭和46年(家イ)第6884号 財産分与申立事件 昭和50年1月31日

「わが民法七六八条の定める財産分与請求権は、夫婦が婚姻中に有していた実質上共同の財産を清算分配し、かつ、離婚後の一方の当事者の生計の維持をはかること(いわゆる離婚後の扶養)を目的とするものであつて、分与を請求するにあたりその相手方たる当事者が離婚につき有責であることを要しないから、相手方の有責な行為により離婚をやむなくされ精神的苦痛を被つたことに対するいわゆる離婚慰藉料の請求権とは、その性質を必ずしも同じくするものではないが、裁判所が財産分与を命じるかどうかならびに分与の額および方法を定めるについては、当事者双方における一切の事情を考慮すべきものであるから、分与の請求の相手方が離婚についての有責の配偶者であつて、その有責行為により離婚に至らしめたことにつき、請求者の被つた精神的損害を賠償すべき義務を負うと認められるときには、右損害賠償のための給付をも含めて財産分与の額および方法を定めることもできると解すべきである(最高裁昭和四三年(オ)第一四二号同四六年七月二三日第二小法廷判決、民集二五巻五号八〇七頁以下参照)。
   そして、本件については、上記1(14)記載のとおり、離婚慰藉料請求訴訟が本件とは別途に提起されているが、同訴訟においてはいまだ慰藉料につき確定判決は得られていないから、本件財産分与に慰藉料としての給付をも含めて審判することは許されるものと解される。」

 

・夫婦間の暴力行為であるからといって他人間のそれよりも低い慰謝料額ということはありません。また、暴力は故意によるものですから、過失による交通事故相場よりも高額な慰謝料額となります。

大阪高等裁判所 平成11年(ネ)第3367号 離婚請求、離婚等反訴請求控訴事件 平成12年3月8日

「本件暴行は、家庭内暴力であるが、妻も夫と対等な人格であること、本件暴行がきっかけで控訴人と被控訴人は離婚請求訴訟に至ったことからすれば、妻から夫に対する損害賠償請求であることを理由に他人間の傷害事件と比べて損害額を減額すべきではない。また、本件暴行は保険制度がないからとして交通事故における損害賠償より低額の損害賠償しか認めないことも、加害者の資力により損害額を左右するものであり、不合理である。本件暴行は故意によるものであるから、過失により惹起される交通事故における加害行為による場合よりむしろ多額の慰謝料が認められるべきである」

 

東京高等裁判所 昭和55年(ネ)第1964号、昭和55年(ネ)第1984号、昭和57年(ネ)第2933号 離婚請求控訴事件 昭和58年9月8日

「二 《証拠略》を綜合すると、原・被告の婚姻から別居して今日に至るまでの間の経緯として次の(1)ないし(13)のとおりの事実を認めることができる。
 (1) 原告と被告は知人の紹介で知合い、昭和三一年四月八日に結婚式をあげた。当時、原・被告は、職場は別ながらいずれも日本電信電話公社の職員であった。
 (2) 原告と被告の婚姻生活は、同居した原告の母や、既に他に嫁していた原告の姉たちと被告との仲が円満でなかったこともあって、はじめから順調でなく、被告はしばらく実姉のところへ行ったり戻ったりしてから、一年足らずでアパートを借りて単身別居するようになった。もっとも、原告は当時ひんぱんに被告のアパートを訪れており、その後、昭和三三年一月原告が福岡に転勤したのを機会に、被告も勤めをやめ、原・被告二人の生活をするようになって、しばらくは一応平穏な夫婦生許が継続していった。しかし、その間にも、原告の母への仕送りのことや、これと関連して生活費のこと、被告が同じ社宅の主婦と仲たがいして原告が上司から注意されたこと、生まれた長女が被告の掃除しているところで土間に転落してけがをしたことなど、そのときには決定的な対立を来さないで済んだものの、後日における原・被告の疎隔の遠因となったと思われるいくつかの出来事があった。
 (3) 原告の東京転勤で原・被告は昭和三七年一月ごろ東京都杉並区の原告の母のところへ移り、一か月ほどで中野の社宅へ移り、一年ほどで市ケ谷の社宅へ移り、昭和四六年に所沢市に家を新築して移り、原告の母もここへ同居するようになった。
 (4) その前後から原・被告の不和ははげしさを増してきた。その主な原因となったのは、一方において、被告が対人関係に円満を欠きがちで、一見常識に欠けると見られるほど一方的に他人を攻撃することがあり(その例をあげれば、冷暖房工事のトラブルで工事した会社の責任者を呼びつけながら朝から夕方まで待たせたり、来客を嫌って原告が部下を自宅へよぶのに難くせをつけ接待しなかったり、電話交換手の応対のことで原告の制止を聴き入れず原告の知りあいの局長に抗議したりした。)、しばしば原告を困惑させてきたこと、被告が原告の母を嫌い、原告が母の面倒をみることについてガスの元栓をしめるなどいやがらせをしたことであり、他方において、原告がこのころから飲酒の度を過ごし、しばしば被告を殴打する等の暴行を加えるようになったこと(被告は昭和四四年に肋骨々折の傷害を負ったこともあった。)、被告としては、福岡にいたころ原告の母や姉たちが原告に対し手紙で離婚をすすめたことなどを考えると原告の母との同居にがまんできなかったことであった。
 (5) 昭和四八年三月六日の夜、当時D電報電話局長であった原告は、会議の帰途、同じ会議に出席したC電話局長乙山春子らといっしょに飲酒し、相当おそくなって乙山局長を同伴して帰宅した。長女が出迎えたが、原告と同局長は肩を抱きあって玄関を入り、そのまま長椅子に坐る状態であった。被告は、同局長の来訪を不快に思い、原告が酒食の接待をしろというのにも応ぜず、乙山局長は以前自分の上司であった人でもあったにもかかわらず長男に命じて茶菓を出したのみでとうとう同局長の前に出なかったので、原告はやむをえず同局長に帰ってもらった。そのあと、その夜のうちに被告は乙山局長の自宅ヘ二回にわたって電話し、「女のくせに、夜、男の家をたずねて恥ずかしくないのか。」など激しい言葉で同女を非難した。翌日、被告はさらに乙山局長に電話をして「わび状をかけ。」などといって前夜同様同局長を攻撃し、そのことで原告の上司に当たるA地区電気通信管理部長丙川春夫に電話をかけ、さらに直接訪問もし、心配して訪ねて来た仲人の丁原夏夫の説得に対しても、興奮して反発し、乙山局長にわび状を書かせるとか、東京電気通信局長に電話するとか、週刊誌に投書するとが息まいていた。
 (6) 原告と被告の仲はそのころからいっそう険悪になった。原告の主張する、出勤用の背広等の衣類をかくされたり、寝具に泥をまかれたりしたという事態は、それらが被告によって生ぜしめられたことを認めるに足る十分な証拠はないにしても、被告村原告の日常の生活の世話をまるでせず、非協力的になっていたことを推認させるものであり、原・被告の生活においては、夫婦の協力による共同生活の実はほとんど失われていたものと認めることができる。
 (7) 同年三月二一日午前零時ごろ、被告は就寝していた原告を起こして所沢市の土地・建物を被告の所有名義とする旨の書面を作成するよう要求し、原告がこれを断わったところ、被告は原告につかみかかり、原告は電話で警察官の出動を求めるという騒ぎとなった。
 (8) 以上のような被告の状態から、原告は被告が精神に異常を来しているのではないかと考え、警察の助力を得て同月二二日青梅厚生病院の精神科の医師に来診してもらったが、医師が鎮静剤の注射をしようとしたところ、被告はこれを拒否して逃げ出した。この出来事は、被告の原告に対する不信感を増大させるとともに、夫婦間の信頼関係にもとづく共同生活への復帰の可能性をいっそう少ないものとした。
 (9) 原告は、被告との共同生活に耐えかね、同年五月単身家を出て板橋区下赤塚にアパートを借りたが、被告が局やアパートへ電話してきたりするので三か月位で所沢の自宅へ戻った。そのころ、被告は電話の応対が悪いといって局へおしかけて来て、戊田秋夫庶務課長にわび状を書かせたことがあった。
(10) 原告は、同年八月九日離婚を求めて調停を申立てたが、被告は離婚に応ぜず、いかなる合意も成立しないまま昭和四九年一月末調停は不成立に終った。
 (11) 原告は、飲酒のうえ、いずれも些細なことから、昭和四八年一二月二五日及び昭和四九年一月一五日に当時中学二年生の長女花枝の頭部や顔面を手拳で殴打した。このため花枝は髄液漏で同月終りごろから翌二月終りごろまで入院治療を余儀なくされ、その後も経過がはかばかしくなくて学校を休むことが多く、結局中学三年を一年よけいにかけて履習せざるを得ない破目におちいり、その後も現在に至るまで体調が思わしべない。このことは被告や花枝が原告を非難攻撃する材料となり、原・被告間の関係が一層悪化する原因ともなった。
(12) 原告は、調停による離婚というかたちでの早急な解決の途を断たれ、また、昭和四九年九月から一〇月にかけて網膜剥離により入院したのちの安静を要する状態の中で原・被告の不和による日常生活の不便や被告や長女の原告を非難攻撃する言動に耐えかね(被告及び花枝は、花枝が負傷により学業不振となったので高校への裏口入学に必要な資金として三〇〇万円出すよう原告に要求し、花枝は右金員をそろえてくれなければ自殺すると原告に告げた。これをめぐる争いが原告の家出の直接の契機となったものである。)、同年一二月六日ごろ、単身家を出て被告やこどもたちと別居し、今日に至っているが、もはや原・被告が夫婦として円満に共同生活を営むことは期待できない、と考えており、被告との離婚を強く求めている。原告は日本電信電話公社を昭和五一年六月三〇日付で退職し、同年七月五日からB警備保障株式会社に入社した。原告は被告に対し、調停継続中に原・被告本人、双方代理人が協議して定めたところに従い、一か月金一二万円以上の婚姻費用を送っている。 2
  (13) 被告は、原告が出た後も、ひきつづき所沢市の前記建物に長女、長男と共に居住し、長女は高校卒業後体の具合が思わしくないことから家に居り、被告は働きに出ている。被告は、婚姻関係破綻の責任は原告にあり、自分には離婚させられる理由はないという理由で原告の離婚請求に応じたくないが、現在では原告との円満な共同生活の回復を断念し、自ら離婚を求めるに至っている。
 三 前記二の(2)ないし(13)の各事実を綜合してみれば、原告と被告はすでに長期間にわたって継続して別居している上に、現在もたがいに相手方を非難攻撃することに急で、相互の信頼関係も愛情もみられず、両者の関係は、回復しがたく破綻された状態にあるものと認めざるを得ない。
 四 そこで、右のような婚姻関係の破綻について、原・被告のいずれが責任を負うべきかの点を点検する。
 本件においては、原・被告とも相手の精神異常をいうが、医学的にその域に達していると認めるに足る証拠はそのどちらについても存しない。また、原・被告の心理的疏隔を生じた原因の一つが原告の母の被告に対する態度や言動であり、これによって被告が傷つけられることが多々あったことは認められるにしても、原告が母の側に立って被告と対立することが多かったことは老齢の親を思い、あるいは親に遠慮せざるを得ない自然の情から出たものであろうから、これについて原告をあまり強く責めるのも酷であるし、逆に、被告が原告の母を快く思わず、それが原告に対する言動に現われたとしても、夫婦間のことであり、本件の程度では被告を強く責めるわけにはいかないであろう。
 本件において被告が特に責められるべき点は、昭和四八年三月六日夜の乙山局長の来訪時及びその及びその直後の同局長に対する言動、及び右来訪に陽連して被告が周囲の者、特に原告の上司等勤務先関係の人々に対してなした電話、訪問等の言動であろう。その夜の原告の態度や乙山局長の夜間訪問等の言動に若干被告に対する配慮に欠ける点があったとしても、社会人としての常識を甚しく逸脱したものがあったかどうか疑わしい。ところが、これに対して被告のとった非難、攻撃の手段、態様、程度は異様の感を与えるほど執拗、激越であり、ために、前記のとおり電報電話局長という地位にあった原告としては、職場関係においてその面目を大いに失墜し、甚だ肩身の狭い思いをさせられたことが明らかであるから、右行為についての被告の責任はかなり思いといわなければならない。
 逆に、原告の責められる主要な点は、被告に対する度重なる乱暴と、長女花枝を段打して負傷させた行為とであろう。被告は、原告が昭和四九年 一月に家出をしたことが悪意の遺棄に当たる旨主張するが、前記認定事実によれば、原・被告間の婚姻関係は、昭和四八年三月ごろには相当深刻な危機的状態に陥っていたものであり その後同年五月からの一時的別居、八月の原告による調停申立を経て、遅くとも同年一二月ないし翌四九年一月に原告が長女花枝を負傷させ原・被告の反目が一層激しくなったことにより決定的に破綻するに至ったものと認められる。したがって、そののちの昭和四九年一二月にされた原告の家出は、むしろ右破綻の結果であって、その原因ではない。また、原告が精神科医に被告を診察させたことは前記のとおりであるが、原告が被告を精神異常者に仕立て上げて精神病院に入院させようと企てたとの被告主張事実は、証拠上肯認し難い。
 右においてとりあげた以外にも、前記認定のとおり、原・被告のいずれにも思いやりを欠き、相手方を傷つける言動が多々あり、これらが相互に影響を及ぼし合って婚姻関係の破綻に至っているのであるが、総体的にみて原・被告それぞれの責任の程度を考えると、前記のように、本来夫婦間で解決すべき問題を、格別の理由もなく、かつ極めて不穏当なやり方で原告の職場に持ち込み、これにより自分の方から夫婦間の信頼関係を断ち切った被告の責任の方が、若干重いと認めるのを相当とする。
 五 以上によれば、婚姻関係を継続し難い重大な事由があることを理由とする原告の本訴離婚請求は理由がある。また、被告は婚姻関係の破綻につき原告以上に責任があること前記のとおりであるが、原告自身が被告との離婚を請求している本件においては、右の事実は被告の婚姻関係破綻を理由とする離婚請求の妨げとはならないものと解されるから、被告の反訴による離婚請求も理由がある。
 六 第三、第四項で認定判断したところによれば、被告は原告に対し、本件婚姻の破綻につきより大なる責任を有するものとして、これにより原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料を支払うべきである。その金額は、前記のとおり婚姻関係の破綻については原告にも相当程度の責任があること、その他諸般の事情を考慮し、一〇〇万円をもって相当と認める。他方、右に認定判断したところによれば 被告の反訴による慰藉料請求は理由がないものというべきである。
 七 次に、被告の財産分与の申立について判断を加える。
 《証拠略》によれば、原告は、昭和一三年に逓信省に入り、その後機構改革により日本電信電話公社に勤務し、前記のとおり昭和五一年六月に同公社を退職してB警備保障株式会社に入社したが、同公社における昭和五〇年の一年間の給与額(手取り)は五一九万九二〇六円、五一年の退職まで六か月間の給与額(同上)は二七一万七九二三円であり、B警備保障株式会社における昭和五七年の一年間の給与額(同上)は三四三万一七八〇円であること、公社退職後の原告は、右給与のほかに退職年金を受けており、その昭和五七年の一年間の受給額(同上)は二三八万四二八七円であること、公社退職の際、原告は手取額一六四三万四二四五円の退職金を受領し、右退職金のほぼ全額をそのまま貯蓄していること、原告の母は現在姉が面倒をみており、原告はアパート住いをしていること、被告が現在子どもらと共に居住している所沢市の宅地(二六六・九三平方メートル)、建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅、床面積一階一二二・八七平方メートル、二階三九・九三平方メートル)は、原告の固有財産である東京都杉並区《地番略》の土地を処分した代金で取得したもので、右宅地の現在の時価は四〇〇〇万円を下らず、右建物の時価は明確ではないが、昭和四五年におけるその新築代金が一〇一六万円であったことやその床面積からみて五〇〇万円を下ることはないこと、被告は格別の資産を有せず、現在会社事務員として働いているが、既に五〇歳を越えていること、以上の各事実が認められる。
 右認定事実に基づき、本件離婚における財産分与をいかなる内容のものと定めるべきかを検討すると、本件では婚姻破綻を原因とする損害賠償請求が財産分与の申立と別個になされているから、財産分与の内容を決するにあたって考慮すべきは、夫婦間の財産関係の清算と今後における当事者双方の経済的な生活基盤の確保の二点である。このうち、財産関係の清算については、前認定のような婚姻の期間等の事実関係に照らし、原告の受領した前記退職金のうち三分の一程度は被告の寄与によるものとみるのを相当とする。これに対し、前記所沢市所在の宅地、建物は原告の固有の財産であり これらを維持するについて被告が格別の寄与をしたことを認めるべき証拠もないから、これらは清算の対象とはならないものというべきである。次に、今後の当事者双方の生活の経済的基盤を考えると、原告は、既に六三歳に達してはいるが、前記宅地、建物を所有し、前記退職年余も受給しているので、この先長く現在の勤務を続けることはできないとしても老後の生活につき経済上の不安はないとみられるのに対し、被告については、本件離婚が成立すれば所沢市の家を明け渡さなければならなくなることでもあり、その資産からいっても、職業・年齢等からいっても、今後の生活の維持につき多大の不安が存するものといわなければならない。以上に加えて、別居後における原告の被告に対する仕送りが必ずしも十分なものであったとはいい難いことその他本件に顕われた一切の事情をも考慮すると、財産分与として、原告は被告に対し金一五〇〇万円を支払うべきものというべきである。」

 

・いわゆる精神的暴力については、妻からの離婚請求は認容する一方で、夫の言動についてその態様と程度が社会的に相当な範囲を超え、不法行為として損害賠償の対象となるほど違法なものとまではいえないとして、慰謝料請求を棄却した裁判例もあります(東京地判平成16.12.21、東京地判平成16.9.29)。

 

補足:保護命令発令の要件

 

被害者本人への接近禁止命令・退去命令の要件

当事者の関係

①配偶者(事実婚含む)

②生活の本拠を共にする交際(婚姻関係における共同生活に類する共同生活を営んでいない者を除く)をする関係にある相手

③元配偶者(元事実婚、元交際相手含む)ただし、婚姻中に配偶者(事実婚、交際相手)からの暴力を受けていた者に限る

「身体に対する暴力」「脅迫」

①身体に対する暴力(身体に対する不法な攻撃であって生命または身体に危害を及ぼすもの)

②生命等に対する脅迫(生命または身体に対し害を加える旨を告知してする脅迫)

危害の程度/蓋然性

生命または身体に重大な危害を受けるおそれが大きいとき

子への接近禁止命令の要件

①被害者本人への接近禁止命令の発令要件があること

②被害者への接近禁止命令が同時に発令されることもしくはすでに発令されていること

配偶者が幼年の子を連れ戻すと疑うに足る言動を行っていることその他の事情があることから、被害者が同居している子に関して配偶者と面会することを余儀なくされることを防止するために必要と認められる場合

子が15歳以上の場合には、子の同意が必要

親族等への接近禁止命令の要件

親族の住居に押しかけて著しく粗暴又は乱暴な言動を行っていることその他の事情があることから、被害者がその親族等に関して配偶者と面会することを余儀なくされることを防止するため必要と認められるとき

親族等(15歳未満の子を除く)の同意が必要

電話・メール等禁止命令の要件

なし

 

 

馬場総合法律事務所

弁護士 馬場充俊

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